記事が上がってこないのでPCの話は今日はお休みで、この文章を書いているしばたよしとみJが以前やっていた無線・ラジオ趣味の話でも書く。無線やラジオの事を書き始めると一生終わりそうにないくらいエピソードがあるが、戻ってこられなくなると困るので書かないようにしていた。超々高圧縮^2で昔話。

 筆者は小学校の時分にHAMに興味を持ったが、中学生あたりから所謂BCLと言ったものに興味が移ってしまった。そのまま興味が回復しないまま、何故かその後無線が仕事になったりした。しかし一度もコールサインを申請して自局から波を出したことは無い。他局で運用した事はあるがあくまでも業務(テスト)である。無線よりはラジオの実験の方がずっと楽しかったね。まあアマ無線家(今で言えばオタクの一種)と言う人種にあまりなじめなかったというのが大きいかな。ちなみに子供の頃は(大きな声では言えないが)無免で波を出していた。所謂アンカバーで、電管に「不幸の手紙」をもらった事もある(^^; なのに従事者免許を受けてからは交信した事が無いのだからケッタイな話ではある。それより怪しげな無線機やラジオを作ったり、市販機を改造する方が断然面白かった。当時は改造などと言う分野は全くマイナーで、各自が勝手にノウハウを得て行なっていた。その為改造に関する情報が極度に少なく、まずは一から解析して始めなくてはならなかった。今日のリバースエンジニアリング好きはこの頃の経験によるものか?

 上の例から垣間見えるように、筆者は分野・合法・違法問わずアンダーグラウンドな世界に惹かれるようだ。ラジオも一筋縄ではいかない。一般的な海外短波放送などは一瞬にして飽きてしまい、もっと変な方面に崩れていった。放送局は特殊なもの、例えば国内向け現地語放送から始まり地下局とか暗号放送とか。また常に聞こえる短波は詰まらなくなり、難易度の高い中波局DXに励んだり、放送局では無く業務局を受信するようになった(注1)。

 地下局は旧ソ連がやっていた中国向け放送が主だった。短波帯の火花台とか十月風暴広播電台(←だったっけ^^)、中波の紅旗広播電台などを聞いていた。乱数放送・暗号放送は主に朝鮮半島のもの。これは実際にスパイに使われているわけで複雑な心境だが(注2)。

 中波DXはアメリカ(KDAY等)・カナダ(CKDA等)・メキシコ(XEDM等)の常連中波局とかを受信していた。当時の普通の人は「ふーん」で終わり、ちょっと詳しい人は「そんな事できるわけねえ!」(と言って電離層の講義から始める^^)、更にレベルが上がると「へー東京でも聞こえるんだ」、更に上のレベルは省略(^^; 最近は1600より上の方はアジアの混信が無くて結構楽らしいが、とにかく特殊な分野である事には変わりない(注3)。

 業務局とは一般的には灯台放送とかのユーティリティ局を指す。もっともこれもかなり特殊で、実際はJCS(定番)、JOS(定番)やXSW、VPS、NMO(注4)のような海岸局を聴いていた。主に8MHz台のCWなのでトランジスタラジオ程度でも聞こえるが、IFフィルタが広くて一度に10局くらい聞こえるので耳の鍛錬になった(^^; ビーコンは確認が高速にできるので短時間に多数の局を受信できるため、趣味としては時間が掛からない所が良い。当時はもう長時間ラジオを聞く時間は無くなっていた。ちなみに同趣味の人に雑誌上以外でお目にかかった事は一度も無い。海岸局で検索すると、現役引退した船舶通信士の話を読む事が出来るくらい。現在ではやろうと思っても出来ない趣味になってしまった。

 難易度の高い受信は、市販そのままのラジオ・受信機ではなかなか難しい。そこでラジオや受信機の改造に向かう訳だ。しかし勿論当時は金銭的にツラいので、色々セコイ技を考えたりした。例えばアマ無線機を親機にしてコンバータで誤魔化したり、もっとセコイのはIF段に再生を掛けたり(注5)、長波を聞く為に中波ラジオを改造したり、FET化なんてのもやった記憶がある。そうそう、この時コンバータのDBMを作るために手に入れたのがこの1N60だった。当時は出来合いのDBMなんて一般には無かったのね。

 アンテナもかなり実験した。CQ出版のアンテナハンドブックに出ていた奴で、安くて使えそうなのは全部試した。自分で考案したのもある。中波に移ってからはループ系の実験に明け暮れていた。ハート形特性のループに悪戦苦闘していた記憶もある。北軽井沢では進行波アンテナの実験もやったが、真昼間から海外の長・中波局がガンガン聞こえてぶっ魂消た。長期実用した中では今でも覚えているのは電子バーアンテナ。松下の電子ループにヒントを得て作った。再生を掛けているのが他の人のと違うところかな(注6)。


 …時間が来たのでもう止めた。あの時代全てをこのサイズに圧縮なんてできるわけがねえ。昔話はHSDLではなく筆者のブログで書く事にしよう。


注1:海外放送は海外向け日本語放送を全部受信したところで飽きた。あ、海外向けだけじゃなくてグアム新報ニュースアワーとかも(^^; 海外の国内局は、早朝の受信したい時間に家に居ない事が多くなったので断念。当時は朝練行ってたからな。

注2:ダイナミックな動きが少ないのですぐ飽きた。今はアジアには地下局なんて無いんだろうな。

注3:東京と言うか北多摩東部・練馬・板橋・埼玉の一部は日本一の強電界なので他地方より難しい。高感度だけのラジオは全く使い物にならない。PERSEUSみたいなSDRだとトップが広帯域なので、ダイナミックレンジが最低でも120dBくらい要るんじゃないか?

注4:XSW(高雄)、VPS(香港)、NMO(ホノルル)。他にVIS(シドニー)とかもポケットラジオ程度でも聞こえる常連だった。

注5:後にQマルチと言うよく似たものが真空管時代にあったのを知った。ちなみに再生を掛けるとアタマだけは針先のようにキレるようになるが、スカート部分はノーマルと変わらない。サイドが猛烈にシャリシャリと煩いのでAFフィルタと併用する事になるが、高音を切ると今度は明瞭度が下がるのでそう上手くは行かない。その為低音も切ったヘンな特性のフィルタを自作しなければならなくなり…キリが無いので以下略。

注6:再生を掛け過ぎて発振させると受信機の初段が壊れる場合がある。いや実は製品のアンテナフィルタ前にダイオードのクリッパが入っているんだが、「信号ラインに非直線素子があると多信号特性が悪化するm9(^^)ビシッ」とか言って取っちゃうんですね。

 ちなみにわが青春のCRF-1は今でも持っている。でも他ならぬ天下の9SONYだし、現在も動くかどうか分からん。正に空前絶後のラジオ(これより凄い「ラジオ」は他に無い)なので何とかまた動かしてみたいが。